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 初代 長谷川貞信(はせがわさだのぶ)は文化六年(1809
)大阪の商家、奈良屋治助の三男に生れ、後に家を嗣ぐこと
になりますが、幼年より絵筆にすぐれ、歌川派浮世絵の本格
的な修行時代をへて、天保年間頃から浮世絵師として頭角を
あらわし、明治十二年(1879)没するまで、芝居絵・風景
画・本の挿絵、その他広範な分野において、優れた画家・デ
ザイナーとして活躍しつづけました。とくに上方名所絵の創
作において非凡な才能を発揮し、かつての浪花風物を情緒豊
かに描き残してくれました。                
貞信と前後して活躍した幾多の上方浮世絵師の画系がその後
途絶えてしまった中にあって、長谷川家のみは、二世貞信(
初代 小信)以降今日の四世貞信にいたるまで、その伝統が
ひきつがれてきました。                
 四世貞信は、初代貞信の曽孫あたり現在の長谷川家当主
で、上方浮世絵の伝統をうけつぎながら、現代社会の求める
諸分野でユニークな画家として活躍をしつづけています。 
大正三年(1914)十二月、三世貞信の長男として大阪で生 
まれ、幼少の頃より祖父ならびに父の厳しい指導をうけ、伝
統的画法の修行を重ねつつ成長しました。        
青年時代ははじめ二世信広と名乗り、父(三世小信)の三世
貞信襲名(昭和十六年)ののち四世小信を襲名し、今日にい
たります。その間、肉筆あるいは錦絵版画の芝居絵・文楽人
形絵・風俗画などの作品創作と併行して、歌舞伎の番付など
の原画作成、ひらかたパーク菊人形の振付の原画や同じくポ
スター・パンフレット表紙などの原画作成にあたり、その構
図や色彩に独特の世界を創出してきました。また、大阪の日
本画美術団体有秋会に属し、代表委員として新人育成にもつ
めています。                     
 こうした長年の文化功労にたいし昭和四十九年大阪市の市
民表彰を授与されました。               



 江戸時に成立、発展した絵画の一型式で、庶民の生活感覚を意識し反
映した画題(数々の行事、遊里、芝居、役者、美人、性風俗など)は彼ら
の広く迎えるところとなり、江戸と京阪の二地方を中心に大きく発展した
。浮世絵には、肉筆のものと摺り物(版画)とがあり、版画がでてくるま
では肉筆のものだけでしたが、絵本の挿絵から発展してきた版画が現われ
るようになると、廉価で大量生産が可能なところから大いに推賞され、浮
世絵といえば即版画であると言われる程流行し、幕府の度々の弾圧にもか
かわらず、江戸時代を通じて庶民の愛好するところとなった。